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突然ですが、合唱しませんか?
戦後73年。
今日は沖縄は雨の降りしきる敗戦記念日。
ちょうど1週間前、沖縄県知事 翁長雄志氏が亡くなりました。
ガンを患いながらも、闘病生活に入ることなく、
亡くなる寸前まで沖縄のために働いた翁長知事。
翁長さんが自らの命を削り、必死になって守ろうとした沖縄の自然、
ウチナンチュのアイデンティティー、誇り、郷土愛を、未来へしっかりと残してゆきたいです。
そのために私たちができることは何でしょうか?
現状の沖縄は辺野古新基地建設をめぐって賛成反対に意見が二分されています。
たとえ意見は違っても沖縄に住んでいる人はみんな沖縄を愛している、
沖縄の未来がよくなるために活動している、そう信じています。
「基地」をめぐりウチナンチュ同士が対立する世界は、
戦後、アメリカと日本政府によって作られたものです。
翁長知事が生前よく言っていたように
「沖縄は一度も基地を作ってくださいと自らすすんで土地を差し出したことはない」のですから。
作られた「分断世界」で同じ民族が敵対し続けるのは意味がないし、虚しすぎる。
沖縄の未来をよりよくするためには、基地建設反対・賛成という対立を乗り越え、
再び心をひとつにする必要があるのではないでしょうか。
先日、バルト三国のひとつエストニアという国に行きました。
<この街並み、宮崎映画「魔女の宅急便」のモデルになったと言われています>
行ってみるまで知らなかったのですが、
なんとこの国、「合唱」して平和的に独立を勝ち取ったのだそうです!
<バルト海の向こうはフィンランド>
エストニアは第2次大戦後ソビエトの支配下におかれ、
独立の数年前は生活物資さえ手に入らないほど困窮していました。
1991年の独立から約30年、今ではIT大国となり、
日本もエストニアに学び、マイナンバー制度を導入するなど、
その飛躍ぶりが世界に注目される国へと成長しています。
そんなエストニアには、今から約150年前にはじまった「ソング・フェスティバル」という合唱祭があり、
何万人ものエストニア人が民族衣装を着て野外音楽堂に集結し、
民族の誇りを歌い上げることで揺るぎない郷土愛を確かめ合ってきた歴史がありました。
<首都タリンにある巨大野外音楽堂 マイケル・ジャクソンもマドンナもライブしてます!>
ソビエト解体寸前の1988年、独立に向けて人々の機運が最高潮に高まったこの年、
野外音楽堂で"Eestimaa laul " (エストニアの歌)と呼ばれる合唱祭が行われました。
「歌う革命」と名付けられたこの合唱祭には約30万人が集ったと言われています。
当時エストニアの人口は100万人。実に3人にひとりのエストニア人が参加したことになりますね。
"Eestimaa laul 88" の映像⬇️
https://www.youtube.com/watch?v=Uy6Trbfv4tc&t=39s
30万人もの人々が歌う革命に結集したことは、
リトアニア、ラトビアの人々にも大きな勇気を与えました。
その翌年にはバルト三国の合わせて200万人もの人々が、
国境を超えて600キロ、手を繋いで人間の鎖をつくり、ソビエトからの独立をアピール。
もちろん政治家も独立へ向けて、ソビエト側と権謀術数に長けた交渉を展開したようです。
そして1991年、エストニアを含めバルト三国は悲願の独立を果たします。
合唱を通して呼吸を合わせ、心をひとつにし、
民族の誇りを歌いながら平和的に独立を勝ち取ったエストニア。
ちなみにこれは5年に一度開催されている「ソング・フェスティバル」の様子。
↓
https://www.youtube.com/watch?v=Ws7JRlG1ApU
すごいパワー!感動的です!
そんなエストニアに倣って私たちも合唱しませんか?
来年はソング・フェスティバルがはじまってちょうど150年の記念大会です。
絶対、見に行きたい!沖縄でもフィードバックしたいです。
戦後73年もの間、基地に苦しんでいる沖縄。
<辺野古の海>
辺野古の海はもちろん守りたい!
でも賛成反対でいがみ合うのではなく、
この美しい沖縄の自然を少しでもたくさん未来へ残してゆけるよう、
いがみ合うのはもうやめて、みんなで歌いませんか?
沖縄VS日本というのもなくしたいですね。
翁長知事の息子さん雄一郎さんによれば、翁長さんは
「沖縄を愛するのと同じくらい日本も愛し、それは病に倒れ、
死を覚悟したそのときでも変わることはなかった」と語っていました。
沖縄への愛、日本への愛をみんなで合唱したいです!
翁長さんが身体を張って遺してくれたたくさんの大事なものを、
ウチナンチュ同士が、日本人と沖縄人が、諍い合って見失ってはならないと思います。
来年は琉球処分から140年、つまりほんの140年前までこの島は琉球王国だったわけです。
ウチナンチュは琉球の誇りを忘れず、
日本は独立した国家だった沖縄をリスペクトし、これ以上沖縄を「利用」しないでほしい。
そして一緒に愛の歌を歌いましょう!!
翁長知事がたくさんのことを教えてくれました!
祖国のため、素晴らしい未来のために、今、私たちができることを精一杯やりたいと思います。
翁長さん、本当にありがとうございます。
心より御冥福をお祈りいたします。
<トラッド・アタックのメンバー、ヤルマルがやってるもっとディープな地元セトのバンド>
ここでひとつエストニア情報が!
桜坂劇場でエストニアのスーパースター「トラッド・アタック」のライブがあります!
めちゃくちゃカッコいいので、ぜひ皆さん、見に行ってくださいね。
http://sakura-zaka.com/event-info/14378
それからエストニアの合唱について詳しく書かれている文章です。
詳しく知りたい方はぜひ大中真さんの研究ノートを読んでみてください。
↓ ↓ ↓
https://ci.nii.ac.jp/els/contentscinii_20180409024013.pdf?id=ART0009702707
バルト三国のソ連からの独立についてはコチラ↓がわかりやすいです。
https://www.y-history.net/appendix/wh1501-090_3.html#wh1702-009_1
エストアニアが教えてくれた素敵な解決方法。
合唱祭を沖縄で!
近々、この夢を皆さんと一緒に叶えたいと思っています♡
今日は沖縄は雨の降りしきる敗戦記念日。
ちょうど1週間前、沖縄県知事 翁長雄志氏が亡くなりました。
ガンを患いながらも、闘病生活に入ることなく、
亡くなる寸前まで沖縄のために働いた翁長知事。
翁長さんが自らの命を削り、必死になって守ろうとした沖縄の自然、
ウチナンチュのアイデンティティー、誇り、郷土愛を、未来へしっかりと残してゆきたいです。
そのために私たちができることは何でしょうか?
現状の沖縄は辺野古新基地建設をめぐって賛成反対に意見が二分されています。
たとえ意見は違っても沖縄に住んでいる人はみんな沖縄を愛している、
沖縄の未来がよくなるために活動している、そう信じています。
「基地」をめぐりウチナンチュ同士が対立する世界は、
戦後、アメリカと日本政府によって作られたものです。
翁長知事が生前よく言っていたように
「沖縄は一度も基地を作ってくださいと自らすすんで土地を差し出したことはない」のですから。
作られた「分断世界」で同じ民族が敵対し続けるのは意味がないし、虚しすぎる。
沖縄の未来をよりよくするためには、基地建設反対・賛成という対立を乗り越え、
再び心をひとつにする必要があるのではないでしょうか。
先日、バルト三国のひとつエストニアという国に行きました。
<この街並み、宮崎映画「魔女の宅急便」のモデルになったと言われています>
行ってみるまで知らなかったのですが、
なんとこの国、「合唱」して平和的に独立を勝ち取ったのだそうです!
<バルト海の向こうはフィンランド>
エストニアは第2次大戦後ソビエトの支配下におかれ、
独立の数年前は生活物資さえ手に入らないほど困窮していました。
1991年の独立から約30年、今ではIT大国となり、
日本もエストニアに学び、マイナンバー制度を導入するなど、
その飛躍ぶりが世界に注目される国へと成長しています。
そんなエストニアには、今から約150年前にはじまった「ソング・フェスティバル」という合唱祭があり、
何万人ものエストニア人が民族衣装を着て野外音楽堂に集結し、
民族の誇りを歌い上げることで揺るぎない郷土愛を確かめ合ってきた歴史がありました。
<首都タリンにある巨大野外音楽堂 マイケル・ジャクソンもマドンナもライブしてます!>
ソビエト解体寸前の1988年、独立に向けて人々の機運が最高潮に高まったこの年、
野外音楽堂で"Eestimaa laul " (エストニアの歌)と呼ばれる合唱祭が行われました。
「歌う革命」と名付けられたこの合唱祭には約30万人が集ったと言われています。
当時エストニアの人口は100万人。実に3人にひとりのエストニア人が参加したことになりますね。
"Eestimaa laul 88" の映像⬇️
https://www.youtube.com/watch?v=Uy6Trbfv4tc&t=39s
30万人もの人々が歌う革命に結集したことは、
リトアニア、ラトビアの人々にも大きな勇気を与えました。
その翌年にはバルト三国の合わせて200万人もの人々が、
国境を超えて600キロ、手を繋いで人間の鎖をつくり、ソビエトからの独立をアピール。
もちろん政治家も独立へ向けて、ソビエト側と権謀術数に長けた交渉を展開したようです。
そして1991年、エストニアを含めバルト三国は悲願の独立を果たします。
合唱を通して呼吸を合わせ、心をひとつにし、
民族の誇りを歌いながら平和的に独立を勝ち取ったエストニア。
ちなみにこれは5年に一度開催されている「ソング・フェスティバル」の様子。
↓
https://www.youtube.com/watch?v=Ws7JRlG1ApU
すごいパワー!感動的です!
そんなエストニアに倣って私たちも合唱しませんか?
来年はソング・フェスティバルがはじまってちょうど150年の記念大会です。
絶対、見に行きたい!沖縄でもフィードバックしたいです。
戦後73年もの間、基地に苦しんでいる沖縄。
<辺野古の海>
辺野古の海はもちろん守りたい!
でも賛成反対でいがみ合うのではなく、
この美しい沖縄の自然を少しでもたくさん未来へ残してゆけるよう、
いがみ合うのはもうやめて、みんなで歌いませんか?
沖縄VS日本というのもなくしたいですね。
翁長知事の息子さん雄一郎さんによれば、翁長さんは
「沖縄を愛するのと同じくらい日本も愛し、それは病に倒れ、
死を覚悟したそのときでも変わることはなかった」と語っていました。
沖縄への愛、日本への愛をみんなで合唱したいです!
翁長さんが身体を張って遺してくれたたくさんの大事なものを、
ウチナンチュ同士が、日本人と沖縄人が、諍い合って見失ってはならないと思います。
来年は琉球処分から140年、つまりほんの140年前までこの島は琉球王国だったわけです。
ウチナンチュは琉球の誇りを忘れず、
日本は独立した国家だった沖縄をリスペクトし、これ以上沖縄を「利用」しないでほしい。
そして一緒に愛の歌を歌いましょう!!
翁長知事がたくさんのことを教えてくれました!
祖国のため、素晴らしい未来のために、今、私たちができることを精一杯やりたいと思います。
翁長さん、本当にありがとうございます。
心より御冥福をお祈りいたします。
<トラッド・アタックのメンバー、ヤルマルがやってるもっとディープな地元セトのバンド>
ここでひとつエストニア情報が!
桜坂劇場でエストニアのスーパースター「トラッド・アタック」のライブがあります!
めちゃくちゃカッコいいので、ぜひ皆さん、見に行ってくださいね。
http://sakura-zaka.com/event-info/14378
それからエストニアの合唱について詳しく書かれている文章です。
詳しく知りたい方はぜひ大中真さんの研究ノートを読んでみてください。
↓ ↓ ↓
https://ci.nii.ac.jp/els/contentscinii_20180409024013.pdf?id=ART0009702707
バルト三国のソ連からの独立についてはコチラ↓がわかりやすいです。
https://www.y-history.net/appendix/wh1501-090_3.html#wh1702-009_1
エストアニアが教えてくれた素敵な解決方法。
合唱祭を沖縄で!
近々、この夢を皆さんと一緒に叶えたいと思っています♡
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