S | M | T | W | T | F | S |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 2 | 3 | ||||
4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 |
11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 |
18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 | 24 |
25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 | 31 |
カテゴリー
ケータリング (2)
てぃーあんだーなエトセトラ (22)
お店ができるまで (11)
イベント情報 (253)
食材たち (22)
SOFT OPEN (3)
ハルサーさん (58)
new ! (105)
メニュー (9)
畑のこと (19)
料理教室 (18)
講座 (21)
定休日 (12)
ハルサーズ・マーケット (8)
ハルサーズ・マーケット (1)
コース (2)
オリジナル商品 (0)
オリジナル商品 (0)
アースデイ沖縄 (0)
通販「田からもの地からもの」 (2)
野菜宅配「ベジんちゅ」 (2)
働く仲間 (1)
最新記事
過去記事
最近のコメント
瀬長修 / 地域支援型農業CSAの仕組みを・・・
中村美起子 / 赤椀の世直し!!
sunny coral / 毎日ハルサーズ・マーケット・・・
ふーみー / 雑穀大豊作!!
おかみか / 2月のコース料理
お気に入り
ブログ内検索
QRコード

アクセスカウンタ
読者登録
大嘗祭♡沖縄から粟を供納
皆さん♡はいさい!
明日11月14日、15日は大嘗祭ですね。
大嘗祭とは、岡田荘司著「大嘗祭と古代の祭祀」によれば、
新しい天皇が大嘗宮内の正殿に天照大神(および天神地祇)をお迎えし、
新穀の神膳を捧げて共食され、
国家の安寧を祈念して天照大神の霊威を享受する国家最高の「饗の事」だそうです。

そんな国家最高の祭祀に、粟を納めさせていただきました!

<特注で作った琉球松の箱に粟を入れ、高キビの籾殻で染めたうちゅくい(風呂敷)で包みました。>
大嘗祭では、お供えもの「庭積の机代物(にわずみのつくえしろもの)」として、
47都道府県から稲・粟(精米したもの)が供納されることになっていて、
沖縄県雑穀生産者組合の粟を、先月30日、沖縄県を代表して宮内庁へお届けしてしてきました!

<皇居へ入る門をバックに。手には粟。>
沖縄で粟?と思うかもしれませんが、
もともと沖縄の各島々には粟をはじめ、高キビやもちきびなど雑穀が存在していました。
古い島の歌に「稲粟ぬ稔り」というフレーズがよく出てくるように、
粟はお米と同様にとても大切にされてきたもので、神行事には欠かせないもの。
お米が採れない島においては神に捧げる最も重要な作物でした。

<石垣島平得の司・荻堂久子さん。手にしているのは神様に捧げる稲粟のお飾り>
でも、戦争で種が焼かれてしまったことや、
戦後の食糧難、空腹の中では、粟を食べるには非常に時間と手間がかかりすぎるため、
芋の栽培がメインになり、
さらにサトウキビの生産が活発になると、農地の多くはサトウキビ畑となり、
粟は激減していったのだと思われます。
ところで、竹富島の有名な祭り「種子取り祭」は何の種の祭りなのかご存知ですか?
これぞまさに「粟の種まきの日」を知らせる農耕儀礼。
「種子取り祭」ではイイヤチという粟の餅を作って食べたり、
神前に備える飾りとしても粟を使うため、
島に住む90歳を超える前本さんや何人かの方が、粟の栽培をし続けてきました。

<竹富島でずっと粟を栽培してきた前本さん>
八重山の各島々に在来の粟はありましたが、
大きな粟の祭りがある竹富島には在来種が今も残っていました。
宮古の伊良部島も同様に、司さんが神行事のためだけに粟を栽培してきたことで
宮古在来の粟が残っています。

<伊良部島の長崎さん。司のお役目が終わっても粟を絶やさないよう種まきをしている>
考えてみればすごいことですよね。
食べもしない粟が今日まで残ってきたこと。
それだけ粟が神聖なる作物だということを表しているように思います。
そして島の人々の神様に対する敬虔な気持ち、
種を絶やしてはならないという熱い想いがあったからこそ残ってきたわけですが、
それだけにとどまらず、粟はこれからの日本にとって非常に重要な作物なのだということが
大嘗祭と関わらせてもらうことで深く入ってきました。
日本神道の研究家である岡田荘司氏は前出の本の中で
稲とともに粟が大嘗祭の神膳に備えられてきた理由をこのように記しています。
「粟は非常時のために飢饉の備蓄とされており、民生安定には欠くことのできない食料であった。
大嘗祭には、災害の予防が記念されており、
天皇祭祀の本質は、稲だけではなく、粟の祭祀が重要であった。
稲祭りに隠された粟祭りは天皇祭祀最大の「秘事」であり、
天下を統治した天皇の理想と現実が、大嘗祭と天皇新嘗には投影されている」と!
台風15、19号では多くの人が亡くなり、
家を失い、農産物は3000億円もの被害を受けました。
これまで経験したことのないような自然災害が頻発していますよね。
気候変動が年々深刻になってきているのを肌で感じます。
こういった自然災害が毎年、地球規模で起こるようになったら、
世界中で食料不足が起き、輸入頼みの日本は「飢饉」に見舞われるかもしれない。
天照大神が大嘗祭を通じて
「稲粟を備蓄しなさい」と国民に教えてくれているような気がしてなりません。
今回、庭積の机代物として供納した粟は、
波照間島の五穀生産者・西里さんが、
竹富島の親戚の方が栽培していたものを2年前にもらい受けて増やし、
石垣島在住 雑穀生産者組合の吉本さんに渡し、
自然栽培で育て、7月に収穫したものです。

<収穫の喜びいっぱいの吉本さん>
在来の粟は琉球列島の数千年にわたる気候風土、歴史を記憶しながら、
島の人々のいのちをつなぐ助けとなってきました。
そして蒔き続けてきた人々の想いとともに、
今を生きる私たちの元にやってきてくれた。
なんて愛しい。
この小さなひと粒の重みを大嘗祭をきっかけに、強く感じるようになりました。

<粟の大豊作!五穀豊穣こそが世直し>
沖縄の神歌の中には「赤椀の世直し」というフレーズが度々登場します。
赤椀とはお米や粟でできた神酒を注ぐお椀のこと。
赤椀をお神酒でいっぱいにすること、
つまり稲粟が豊作になることが、世が直ることだと歌っているのです。

<波照間島。昔は粟で作っていたお神酒は粟がないため今ではお米で作っています。
豊年祭前、地域の女性たちが集まって神酒作り>
大嘗祭、沖縄の神歌、いにしえの人々は祭祀に託して、
穀物の大切さを私たちに伝えてくれているように思います。
穀物のことを一粒万倍と表現するように、
稲や粟は一粒から何千、何万と種子をつけるいのちの宝庫と言えます。
どんどん食べて、あなたのいのちを輝かせてください。
令和の世は今まで以上によくなる!
そう信じて、来年も粟の種を蒔きたいと思います!
明日11月14日、15日は大嘗祭ですね。
大嘗祭とは、岡田荘司著「大嘗祭と古代の祭祀」によれば、
新しい天皇が大嘗宮内の正殿に天照大神(および天神地祇)をお迎えし、
新穀の神膳を捧げて共食され、
国家の安寧を祈念して天照大神の霊威を享受する国家最高の「饗の事」だそうです。

そんな国家最高の祭祀に、粟を納めさせていただきました!

<特注で作った琉球松の箱に粟を入れ、高キビの籾殻で染めたうちゅくい(風呂敷)で包みました。>
大嘗祭では、お供えもの「庭積の机代物(にわずみのつくえしろもの)」として、
47都道府県から稲・粟(精米したもの)が供納されることになっていて、
沖縄県雑穀生産者組合の粟を、先月30日、沖縄県を代表して宮内庁へお届けしてしてきました!
<皇居へ入る門をバックに。手には粟。>
沖縄で粟?と思うかもしれませんが、
もともと沖縄の各島々には粟をはじめ、高キビやもちきびなど雑穀が存在していました。
古い島の歌に「稲粟ぬ稔り」というフレーズがよく出てくるように、
粟はお米と同様にとても大切にされてきたもので、神行事には欠かせないもの。
お米が採れない島においては神に捧げる最も重要な作物でした。

<石垣島平得の司・荻堂久子さん。手にしているのは神様に捧げる稲粟のお飾り>
でも、戦争で種が焼かれてしまったことや、
戦後の食糧難、空腹の中では、粟を食べるには非常に時間と手間がかかりすぎるため、
芋の栽培がメインになり、
さらにサトウキビの生産が活発になると、農地の多くはサトウキビ畑となり、
粟は激減していったのだと思われます。
ところで、竹富島の有名な祭り「種子取り祭」は何の種の祭りなのかご存知ですか?
これぞまさに「粟の種まきの日」を知らせる農耕儀礼。
「種子取り祭」ではイイヤチという粟の餅を作って食べたり、
神前に備える飾りとしても粟を使うため、
島に住む90歳を超える前本さんや何人かの方が、粟の栽培をし続けてきました。

<竹富島でずっと粟を栽培してきた前本さん>
八重山の各島々に在来の粟はありましたが、
大きな粟の祭りがある竹富島には在来種が今も残っていました。
宮古の伊良部島も同様に、司さんが神行事のためだけに粟を栽培してきたことで
宮古在来の粟が残っています。

<伊良部島の長崎さん。司のお役目が終わっても粟を絶やさないよう種まきをしている>
考えてみればすごいことですよね。
食べもしない粟が今日まで残ってきたこと。
それだけ粟が神聖なる作物だということを表しているように思います。
そして島の人々の神様に対する敬虔な気持ち、
種を絶やしてはならないという熱い想いがあったからこそ残ってきたわけですが、
それだけにとどまらず、粟はこれからの日本にとって非常に重要な作物なのだということが
大嘗祭と関わらせてもらうことで深く入ってきました。
日本神道の研究家である岡田荘司氏は前出の本の中で
稲とともに粟が大嘗祭の神膳に備えられてきた理由をこのように記しています。
「粟は非常時のために飢饉の備蓄とされており、民生安定には欠くことのできない食料であった。
大嘗祭には、災害の予防が記念されており、
天皇祭祀の本質は、稲だけではなく、粟の祭祀が重要であった。
稲祭りに隠された粟祭りは天皇祭祀最大の「秘事」であり、
天下を統治した天皇の理想と現実が、大嘗祭と天皇新嘗には投影されている」と!
台風15、19号では多くの人が亡くなり、
家を失い、農産物は3000億円もの被害を受けました。
これまで経験したことのないような自然災害が頻発していますよね。
気候変動が年々深刻になってきているのを肌で感じます。
こういった自然災害が毎年、地球規模で起こるようになったら、
世界中で食料不足が起き、輸入頼みの日本は「飢饉」に見舞われるかもしれない。
天照大神が大嘗祭を通じて
「稲粟を備蓄しなさい」と国民に教えてくれているような気がしてなりません。
今回、庭積の机代物として供納した粟は、
波照間島の五穀生産者・西里さんが、
竹富島の親戚の方が栽培していたものを2年前にもらい受けて増やし、
石垣島在住 雑穀生産者組合の吉本さんに渡し、
自然栽培で育て、7月に収穫したものです。

<収穫の喜びいっぱいの吉本さん>
在来の粟は琉球列島の数千年にわたる気候風土、歴史を記憶しながら、
島の人々のいのちをつなぐ助けとなってきました。
そして蒔き続けてきた人々の想いとともに、
今を生きる私たちの元にやってきてくれた。
なんて愛しい。
この小さなひと粒の重みを大嘗祭をきっかけに、強く感じるようになりました。

<粟の大豊作!五穀豊穣こそが世直し>
沖縄の神歌の中には「赤椀の世直し」というフレーズが度々登場します。
赤椀とはお米や粟でできた神酒を注ぐお椀のこと。
赤椀をお神酒でいっぱいにすること、
つまり稲粟が豊作になることが、世が直ることだと歌っているのです。
<波照間島。昔は粟で作っていたお神酒は粟がないため今ではお米で作っています。
豊年祭前、地域の女性たちが集まって神酒作り>
大嘗祭、沖縄の神歌、いにしえの人々は祭祀に託して、
穀物の大切さを私たちに伝えてくれているように思います。
穀物のことを一粒万倍と表現するように、
稲や粟は一粒から何千、何万と種子をつけるいのちの宝庫と言えます。
どんどん食べて、あなたのいのちを輝かせてください。
令和の世は今まで以上によくなる!
そう信じて、来年も粟の種を蒔きたいと思います!
※このブログではブログの持ち主が承認した後、コメントが反映される設定です。